函館五稜郭(はこだてごりょうかく)公園の駐車場は行けばわかるよ、と思ったのが失敗でした。
五稜郭近くまで来たが駐車場の案内を見つけられずグルグル。
ようやく駐車場を発見できたが、若干タイムロスでした。
調べときゃ良かったなぁ…
みなさんは事前に要チェック!下段に案内あり。
函館五稜郭に土方歳三の遺体が埋葬されているのか…
土方歳三先生に思いを馳せつつ函館五稜郭ぶらぶら散歩
函館の圧倒的観光スポット五稜郭は…歳三先生の墓というか、埋葬されているという説がある、ファン垂涎のスポットです。
果たして土方歳三の遺体(遺骨・御首)が埋葬されているのか?
それは一体どこなのか?
では、五稜郭内を探っていきましょう。
函館市五稜郭駐車場から五稜郭のお堀沿いを歩いて入口に到着。
特別史跡五稜郭跡の石碑と案内板がある。
ちなみに、五稜郭は日本に2カ所存在します。
星形要塞(稜堡式城郭)の詳しい説明は省きます。
Wikipediaをみてね。
一の橋を渡るとボート屋さんが目に入る。
二の橋を渡って函館奉行所にイザ入場。
平日なので人影は疎ら。
城塁などを眺めつつ進んでいく。
仮装姿を写真撮影してくれるお店をやり過ごすと、
出ました函館奉行所!(復刻版)
なかなか立派です。
奉行所内部も見たくなるのが人情。
入場料チャリンと支払い、靴はビニール袋へ入れて持ち込みます。
畳敷きの通路を進むと色々と説明書きがある。
大広間で記念撮影。
広々とした美しい庭。
展示物が沢山ある。
世界の五稜郭を紹介したパネル。
世界のあちこちにこの手の星形要塞が散らばってるんですね。
他にも沢山の展示物があるが、じっくり見ていると日が暮れるのでサラッと終了。
当然のごとく函館戦争関連のものが多い。
函館奉行所を出て公園内を少しウロつく。
本塁の上に上れる道を発見。
階段を上がると小路が続いている。
五稜郭タワーが見える。
五稜郭タワーから見たら星形要塞も一目瞭然ですね。
そのまま進んでいくと少し開けたスペースを発見。
まさかこのあたりでしょうか…
それともこの木の下でしょうか?
土方先生が埋葬されていそうな場所は残念ながらわかりませんでした。
夏草や兵どもが夢の跡…緑が溢れる素敵な公園となっておりました。
五稜郭に埋葬されたのではなく、市村鉄之助が土方歳三の愛刀和泉守兼定とともに、御首(みしるし)も日野へ里帰りさせたのでしょうか…
謎が解明される日が来るといいですね!
ちなみに、土方歳三の兼定は東京都日野市の土方歳三資料館で拝観できます。
歴戦を物語るかのように刀身が細っていると感じました…(´;ω;`)ブワッ
土方歳三こそラストSAMURAI!江戸の消滅、歳三先生の散華とともに日本は終わりました…
熱烈歳三ファン温chanによる考察と見解
愛してやまない土方歳三副長。歳三のためなら死ねる!
鉄の掟・局中法度で厳しく隊士を律した怖い面ばかりがよく語られるけれど、
その不器用ともいえる愚直なまでの生き様に、心を鷲掴みにされるのです。
鳥羽・伏見の戦いから敗戦を重ね、北へ北へと転戦する旧幕府軍と行動をともにし、
ついに海を越え、戦いの舞台は蝦夷へ。
この時期ぐらいになると、鬼の副長と恐れられた土方先生も若い隊士たちの父親のような存在となっていたそうですよ。
自ら彼らにお酒をふるまい、談笑する。
そんな温かい時間も、その後の歴史を知る私たちにはとても切なく映ります。
最期は知ってのとおり、一本木関門で鬼神のごとく戦って散華したわけですが、気になるのはやはり、「副長がどこに眠っているか」。
それはそれはいろいろな説があります。
京都時代、新選組に煮え湯を飲まされ続けた薩長土肥の者たちは今や新政府軍の要人。
副長を見つけた日には、ただではすまさないでしょう。
首を落とされ、晒され、辱めを受けることは必定です。
それだけは断じてならんわけで、今や数少なくなった新選組隊士たち、たぶん怪力の島田魁あたりが担ぎ上げて、丁重に弔ったと思います(思いたい)。
そうなると、真っ先に考えられるのは「五稜郭に葬られた」という説です。
一方で、だいぶ昔の函館旅行でお世話になったタクシーの運転手さんの説によると、「碧血碑(箱館戦争の戦死者の慰霊碑)に、みんなと一緒くたになって眠ってるんじゃねえか?」
それはそれでありそうだけど、なんとなく寂しい…
愛読小説「燃えよ剣」(司馬遼太郎)の最後の一説。
「函館の称名寺に歳三の供養料をおさめて立ち去った小柄な婦人がある。寺憎が故人との関係をたずねると、婦人は澄みとおるような微笑をうかべた。」
「燃えよ剣」司馬遼太郎 著
これを受けて、函館・称名寺に眠ってるかもとか。(※称名寺には副長土方歳三の供養碑があります。)
でも、一番ロマンがあって、個人的にはこれであってほしいという説は…
「故郷・日野に眠ってる」
です。
北海道から、新政府軍の包囲網をかいくぐりながら日野に連れて帰るのはとんでもなく困難なことは重々承知の上で、それでもあえて日野説を推したい!
ずっと戦い続け、やっと故郷に帰ってこれた…そうであってほしいと願ってしまうのです。
辞世の句と言われている句がいくつかありますが、そのうちの一つ「よしや身は蝦夷の島根に朽ちぬとも 魂(たま)は東の君やまもらむ」
魂=多摩、と勝手に脳内変換してしまう私なのでした。
(温chan)
土方歳三散華!一本木関門の思い出
土方歳三最期の地!土方歳三終焉の地!
土方歳三が敵の銃弾に腹部を貫かれ倒れた、その場所が一本木関門です。
函館総合福祉センター(あいよる21)の敷地内にあり、いつでも見学できます!
私、2回ほど訪問しました。一本木関門といったら、お世話になったタクシー運転手さんの話…
深夜に一人女性を乗せたんだけどねぇ、一本木関門へ向かってくれと言うんだよ…しくしく泣きながらさぁ。ちょっと幽霊かと思ったよ。一升瓶と花束もってんのよ。そんで一本木関門に到着して、とっとと去ろうとしたら、『待っててくれ』っていうんだよ!んで暫く戻ってこないから、様子をちょっと見に行ったらさ、碑の前でわんわん号泣しちゃっててねぇ~!いやはや、驚いたねぇ!
わかるわぁ~その気持ち!
土方歳三先生は、亡くなってもジゴロですなぁ~